散りばめられていたサイン/運命の一冊
そんなわけで学校では、担任との面談があるたびに相談していましたが、大丈夫と言われて帰されていました。
結果、問題は何年も放置され、普通と言われたムスメは、家で赤の女王(映画「アリスインワンダーランド」)のように振る舞い、私の悩みの種になっていたのでした。(その記事はこちら:「人を思いやることが、どういうことか分からない」)
その頃私がどう対処していたかというと、ムスメは1、2歳児頃から始まったイヤイヤ期からずっと反抗期という感じだったので、毎日のように壮絶なバトルを繰り広げていました。(その記事はこちら:「スペクトラムの娘とヘレン・ケラーの意外な共通点」)
そんな私の我慢も限界に達し始めていた頃、偶然手にした本がターニングポイントになったのです。
私はムスメが生まれた後も細々とイラストの仕事をしていたのですが、ある日私のサイトを見た編集者さんから、子供の発達障害についての本のカバーに私がサイトに上げていたイラストを使いたいという依頼があったのです。そして、忘れられないのは、その編集者さんが言ったことでした。
「この絵は、まさに特性を表してるんだよね。 一緒にいるけど、それぞれが好きなことをしていて、お互いには興味がない感じ。 ぴったりなんだよねえ。」と。
その絵は、ムスメと飼っていた犬をモデルに日常を描いたものでした。発達障害のことを全く知らなかった私は、こう言われても「へえ、そうなんですかあ」と言ったくらいでした。
当時、絵本を作ることと育児と家事でいっぱいだったので、突然舞い込んだイラストの仕事は運が良かったくらいにしか思っていなかったのです。
献本でもらった後もじっくり読むことなく本棚にしまったきりでした。
それから、4年後。ムスメの対応に困り果てていた小5の3学期、なぜかその本に目が止まり、何気なくペラペラとページをめくっていた私は、いつの間にか釘付けになっていたのです。
支援に辿り着くのが楽じゃないグレーゾーン
学校の支援
すぐに担任の先生に面談を取り付け、このことを話しましたが、
「そんなわけないですよ。 違う方にかけてもいいです!」
とまで言われました。でも、この時の私には聞く耳はなく、学校に週2、3日で来る特別支援の先生(その学校に特別支援のクラスはありませんでしたが)と隔週に1回しか来ないスクールカウンセラーと面談できるように繋げてもらいました。ここだけで2、3週間かかりました。
どちらも時々しか学校に来ない上、やはり相談は埋まっていました。やっと初めて切り込んだ内容の相談が出来たと思いましたが、結果は担任と変わらないものでした。
幼稚園の時のママ友
そこで、幼稚園の頃、仲良くしてもらっていた発達障害のお子さんを持つ幼稚園の時のママ友を思い出し電話して、発達支援センターの存在を教えてもらいました。
幼稚園の時、その方のお子さんはアスペルガー症候群を公表していましたが、特性が男の子の中でも目立つタイプでした。
その子の様子を見ていると、好きなものだったり、なんとなくムスメと似てるようなところが不思議とあるなあと思いましたが、特性が強かったので、ムスメと共通しているとは思いませんでした。
同じASDでも、まさかそんなに違うとは、当時は思いもしなかったのです。周りと同様、私もムスメはマイペースなだけだと、思い込んでいたのでした。
発達支援センター
本を読んでからは、とにかく早くなんとかしないと、と動きましたが、発達障害の相談はどこも混んでいて、特に本に載っているような有名な医療機関は数年待ちでした。
最速で取れた支援センターの予約も3ヶ月先。とにかく困っていると伝えると、電話口の人がかわいそうに思ってくれたのか、数日後空きが出たと言ってすぐに電話をくれ、1ヶ月後に1回目の予約を入れてもらえました。ムスメは既に小6でした。
険悪な関係になっていたムスメには、
「あなたとの関係に悩んでいて、改善させたいと思っていること。一緒に相談に行って、発達検査(ウィスクIV)を受けて欲しいこと」
などを正直に伝え、承諾してもらいました。この時、話して分かったのは、ムスメも困っていたということでした。
検査は面談から更に2ヶ月先。検査結果は、そこからまた更に2ヶ月先。公で受けられる療育の支援は小6までで、ムスメのようなグレイゾーンの人向けの療育はそもそもないという話を聞いた時は、もう6月になっていたのでした。
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