反省してるように見えない問題

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状況に合わない表情

学校で特性のある子供たちを見ていると、時々その状況に相応しくない、そぐわない表情や言動をしている子供を目にします。勿論、彼らにその自覚はないのですが、相手をする先生たちがそのことを知らないで、感情的に怒ることがよくあるのです。

人は叱っている時、感情的になっていなくても興奮気味になっているので、気づきにくいのですが、叱られている時、彼らはちょっと普通と違って不真面目に見えるのがそれです。わざとやる生徒との見分け方は、普段の生活態度と特性のようなものがあるかどうかで分かると思います。

我が家のムスメも叱られている時は、特に人の顔は見ないというか、見る余裕はないと思います。普段から人の表情に気づけなかったり、微妙な表情の違いが分からなかったりしますから、難しいとは思っていましたが、反省するには高い認知能力が必要となると、無理なことが分かるのです。

特性に悩む子供に追い打ちをかける親の特性

叱られている時の表情のことで怒られたのは、Tくんという子でしたが、その子について余談を一つ。

やんちゃなTくんはADHDの診断を受けていて、落ち着きがありません。口が達者で主観的で、自己認知が低いので周りとよくトラブルになっていましたが、親が医療に頼る気がないらしく、医療にも学校が提供する療育にも繋がっていませんでした。

薬を飲むことが必ずしも良いとは思っていませんが、本人の努力でなんともならないところを放っておくのは、やはり叱られる頻度が上がるので、残念に思ってしまいます。

そうは言っても、Tくんの特性はかなり明らかだったので、一時期、学校からの要請で、Tくんの両親が変わるがわる学校に来ていましたが、そこで見たお父さんはなかなかアクの強い人でした。

教室の後ろの席を陣取り、息子の様子を見るのもそっちのけで、パソコンを開いて、仕事をしていました。学校に来て子供の様子を見る保護者は、大体椅子だけもらって座っていたり、支援員のように立って子供を見るので、このお父さんにはびっくりでした。一体なにしに来たのかって感じでした。

そんなお父さんをTくんは、何度も振り返って見ていて、立場が逆転していたのが印象的でした。

普段、Tくんは、お父さんのことを「アイツ」とか「クソオヤジ」と呼んでいるのですが、家ではお母さんがお父さんに「出てけ!」と言っていると教えてくれました。なかなか複雑そうです。

我が家も父親が問題でしたが、このお父さんは息子の為に、学校に来ているだけまだ望みがあるかもしれないと思ってしまいました。似てるけど、同じじゃないところに期待したいです。

相手を馬鹿にしているように見えてしまう

話を元に戻しますが、Tくんの特性はいろいろありますが、一番難しいのは、先生に注意されると言い返して、自分の正当性を訴え続けるところでした。自己認知が低いので、誤解が多いのです。我が家の二人にも共通するところで、人から説明を受けても素直に自分の非を受け入れられないのです。

そして、このTくんと担任のi 先生との相性が最悪でした。その日もこっぴどく叱られていたのですが、聞いてない素振りのTくんに先生が、

i 先生

「分かってんの!? どこ見てんの? 人が話をしてる時はちゃんと顔を見なさい」

と言っていて、理解のなさに悲しくなりました。先生がこんなですから、Tくんも更に落ち着かなくなりながら、

Tくん

「はい」

と返事はしたものの、顔は適当にあしらってる感じに見えました。いつもの顔と言ったらいつもの顔なのですが、先生は既に興奮気味ですから、その様子を見た途端、先生は激怒。キレちゃった感じで、ただもう残念としか言いようがありませんでした。

i 先生

「今、こういう顔したよね? 馬鹿にしてんの!?」

普通ならそうかもしれませんが、相手は小2の発達っ子ですから、先生にはもっと落ち着いて欲しかったです。


Tくんは席に戻されると、不満気に

Tくん

「なんで?」

と私に聞いてきたので、こっそり

ややこ

「叱られている時は、ごめんなさいっていう顔をずっとしてなきゃいけないのよ」

と教えてあげると、

Tくん

「なんで? してたよ。 ええー!?」

難しいよねえと思いました。


一般的に、人は悪いことをした人に謝罪や反省を求めます。何かやらかしておきながら、偉そうにしてたら許されないというのが常識です。

けれど、特性があると、その場にふさわしい表情や態度を取るというのは、難しかったりします。Tくんは、ASDの要素があまり見られないので、人の顔を見るのが苦手には見えませんが、叱られてる時に余裕がないのは明らかでしたから「人の顔をちゃんと見なさい」は、更に発達の子を追い込むことになります。

我が家のムスメも昔、私が説教を始めた途端、絶妙なタイミングであくびをしたり、絶対わざとだ!と思う速さで居眠りして、船を漕いでました

ムスメが、少しでも話が長いとこうなることを知らず、私は長い間

ややこ

「ふざけるのもいい加減にして!」

と怒っていたのでした。

モトオは流石に船を漕ぐことはありませんでしたが、大事な話しの時は、必ずフリーズしたり、眠そうにしたりするので、いつも謎でした。

私は二人に馬鹿にされていると思っていましたが、実は全く違う理由だったと分かった時は、ただただがっくり。全て無駄だったことを知りました。ただモトオに関して言えば、はっきり馬鹿にしていたので、例外となります。

特性があると、悪いことをしても、叱られることで不安定になったり、長い話を聞いていられなかったり、ヘラヘラしたり、あくびをしたり、怒ってきたり、威張ったり、と普通ではあり得ないことをすることが分かっていますが、実際、やられると、『ひどいことをしておきながら、何その態度!?』と腹が立ってしまうのは普通の反応です。

特性だとすると、ある意味変わらないとも言えるし、本人の意志があれば変えられるところでもあるということを知っておいていただければと思います。

生徒の特性にメンタルをやられる先生

怒る先生がいけないようなことを結構書いていますが、自分もそうだったので、自戒の意味も込めて書いています。

特性から、言うことを聞かず、生意気に言い返してきたり、屁理屈ばかり言ってきたりする子供の相手をするのは、本当に大変で疲れます。そういう子供の保護者の方々、お疲れ様です。

実際、先生たちはいろいろ努力しているのですが、発達の子は脳が違うので、普通に頑張っても報われないことが多いのです。言ってもまったく聞いてもらえないのは、精神的に厳しいです。それでも毎日そうしていくうちに無力感に苛まれるようになり、酷くなるとカサンドラ症候群になるのです。カサンドラは家庭内だけではありません。

ですが、学校の先生は他に助けてくれる先生たちが沢山いるので、例えそうなったとしても家庭内のカサンドラとは大違いです。他の先生達が助けてくれるし、一緒に見てくれているので共感も得られ、嫌だったら翌年はクラスだって変えてもらえます。

助け合いながら対応しているのを見ていると、発達障害の問題に取り組むには、やはり多くの人が関わらないと無理だと改めて思います。そんな無理なことを20年以上、一人で我慢してしまったと思うと虚しくなりますが、お陰で人にアドバイスできるほど詳しくなれたのですから、きっと意味はあるのだろうと思うようにしています。

反省すること自体が難しい


以前、「ケーキの切れない非行少年たち」(宮口幸治著 新潮新書刊)という興味深い本を読みましたが、そこには、反省するという行為には、高い認知能力が必要で、発達障害の特性が強いと、反省すること自体難しいということが書いてありました。

今、学校には発達障害と思われる子供が沢山いて、特性を理解することは急務と思います。どんな子供にとっても学校が楽しいところであるよう、少しずつでも特性に対する理解が深まることを願っています。

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