「なんでこんなことで、怒ってくるんだろう? なんでこんなことで、偉そうに言ってくるんだろう? なんで、すぐ人のせいにしてくるんだろう? なんで? なんで? なんで?」
モトオとムスメの言動は、私にとって謎だらけでした。特にモトオは、結婚前はそうではなかったし、というか、家族以外の他人には、めちゃめちゃ気を使って良い人になっているのが人として許せず、ムスメはムスメで、成長と共にモトオと同じ言動をするようになってきて、ワンオペで毎日走り回っていた私は、なんの恨みがあってこんなことをされなきゃいけないのか訳が分かりませんでした。
なので、発達障害と分かった時は、知らずに巻き込まれた悔しさはありましたが、原因が分かってホッとした部分もあったのでした。これから一緒に対策を考えればいいのでは、と安易に思ったりしましたが、特性はそう簡単に矯正できるものではなく、本当の意味で理解するのに更に長い年月が掛かったのでした。
二人がASDで(ADHDも含む)『話し合いが苦手』と分かっても、それまで普通に暮らしてきたと思っていましたから、苦手ということが実際どういうことなのか、よく分かっていなかったのでした。
きっかけは、いつも些細なこと
それは、ムスメが高3の時のことでした。
「ナプキンがもうないから、今度買い物行ったら、買ってきて」
と、言われたので
「この間、買ってきたばかりなのに、もうないの?」
と返すと、そこから1時間半くらい言い争いになったことがありました。
なぜそんなことになるかというと、彼女は特性から相手のことが考えられないし、柔軟な考え方もできない、解釈の仕方が凝り固まってしまう人だったからです。
よく発達障害の人は宇宙人に例えられますが、私はまったく違う部族とか種族と言いたい。人は人なんだけど、本当に違う種類。なので、お互い理解するのは本当に難しい。
自分が産んだムスメですが、何から何まで違っていてまったく理解できないのですから。違い過ぎて寂しく思うこともありますが、割り切って考えるようにしています。
けれど、ムスメとモトオは自分の考えが他人のと違ったりすると、怒ったり、威圧的に言ってきたりするので、ここは大きく矛盾するので困るところです。
私も自分では自覚がありませんでしたが、私はどうやら、優しく、心が広く、母性本能が高く、更には我慢強いという性格らしく、私のその一見取り柄とも思える性格が、ここでは、仇となっていたとは思いもしなかったのでした。
質問に答えず、くだをまく人たち
ムスメは、よく聞かれた質問に答えないで話を続けることがあります。
モトオもそうだったので、私は訳の分からない口論によく巻き込まれました。
質問に答えないで、何を言ってくるかというと、私が言ったことの内容や言い方が間違っている、などと正してくるのです。もちろん、その根拠は主観的で硬直的なので、私は当然「それは違うでしょ?」と言う。けれど、一旦こうだと思ったら譲らないASDですから、会話は成り立たないのでした。
今回は、あるか、ないかの質問をしたのですが、ムスメはそれに答えず、私が何気なく言った「この間、買ってきたばかり」というところが違うと言ってきたのです。
「この間、買ってきたばかりなのに、もうないの?」
「この間じゃないでしょ! ずっと前でしょ?」
… え?
でも、これは私の感じ方であって、人にとやかく言われることではありません。しかも、いつも買いに行かされているのは私ですから、頭の中はこんな感じでした。
人に買いに行ってもらってるくせに、偉そうに、よく言うな。 誰に向かって言ってるの? 母親を召使かなんかと思ってる?
彼女は自分で買いに行かなくてもいいわけですから、前回というのも、そんなに前じゃないと思えるのでしょうが、買いに行かされてる方はそうではありません。
「数週間前に買ってきたばかりなので、【ずっと前】じゃないよね?」
「【この間】という感じじゃない!!」
「あのね、あなたの ”この間” が、どれくらいなのか知らないけど、実際、買い物に行ってるのはママだよ!? その私が、この間行ったばかりな気がする、と言ってるんだから、あなたが、どうこう言えることじゃないんです。
「もう無いの?」と聞かれてるんだから「うん、もう無いよ」って言えばいいだけなの! なんで余計なこと言って、人を怒らせるの?」
「無駄遣いして、責められてる感じがする」
「誰も責めてないし、買いに行かないと言ってる訳じゃないよね?」
「前回頼んだのは、ずっと前だった」
またそこに戻るの…!?
そして、更に、無くなってきたことを言わなくても「そんなの分かるでしょ?」と言うのです。これもよくあることですが、以前はこう言われる度に「私は超能力者でも、あなたの召使でもないから、分かりません!」と言って、キレ気味に怒っていましたが、実はこういうことなのです。
「そんなの分かるでしょ?」
つまり、特性がある子は、前頭葉の発達の遅れのせいで、成長と共に意識しなくても自動的に学んでいくはずのことが分からないのです。
小さい頃は、何も言わなくても、要求は周りがわかってくれるし、いろいろやってもらえますが、成長すると自分の思ってることは、言わないと伝わらない。そして、そのことは、言われなくても自然と分かるようになるのが定型発達ですが、特性があると、それが分からないという訳です。
もちろん自律の為、なんでも自分でやるようムスメには教えてきたつもりですが、基本やりたくないという厄介な人たちでもあるので、その都度ものすごい抵抗にあうわけです。
すると、こちらは疲弊しますから、やってあげた方が楽で早いので、やってあげるということになってしまうのです。一応「自分でやるものだよ」とか「今回だけ特別ね」などと言ってはいましたが、なかなかやらないので、いつの間にか習慣化してしまっていたのでした。
危なくいつまでも小さい子供のままにするとこだった
言わなければ、人に伝わらないということが、ムスメには分からなかった訳ですが、小さい時に療育などを受けてない、ムスメのような普通に見えるグレーゾーンの子たちはこういうことで、つまずくのだと思いました。
怒っているのはママでしょ問題
普段は蚊の鳴くような声で喋ったり、滑舌が悪くて聞き取りづらいのに、こういう時になると、大声で偉そうに喋るのは、本当にやめてほしいのですが、本人は見事に自覚がないのです。
なので、怒っている、威張ってる、怒鳴ってる時は、「あなた今怒鳴ってるけど、怒ってないんだったら、もっと静かに話してくれない?」などと口に出して教えています。
努力して冷静に話が出来るようになってきた私も、ずっと怒鳴られていると、つい大声になってしまいます。それに、人の思いを踏みにじるようなことを平気で言ってくるので、そんな時はつい感情的になってしまいます。
けれども、ムスメは自分が怒鳴っていることも、人を傷つけていることも分からなかったりしますから、こちらが感情的になるのは多分無駄なのでしょう。何言ってんの?と思われるかもしれませんが、認知力が低いのでこういうことになる、ただそれだけなのです。
本人は、恐らく自分の中にある抗えない衝動か何かで怒鳴ってますから、訳が分かっていないのです。
なので、こういう時に何を言っても無駄ですから、「怒鳴っているのはママでしょ!?」なんて言ってきたりしますが、それには付き合わず、ただ淡々とキッパリ対応するのが一番と思います。
ムスメを見ていると、モトオもそうだったんだろうなと分かりますが、やはり許せないことは許せないので、ムスメの矯正だけは私の責任と思い、日々修行に励んでいます。
「怒鳴ってるのはママでしょ!」
また人のせいにしてきた。分かってない+話がまた逸れたよね。
と、冷静に分析しつつ、何を言ってきても本題から逸らされないよう注意します。
「だったら、これからは自分で買いに行きない! そしたら、毎回買いに行く人の気持ちが分かるから。」
と言うと、そもそも買い物に行くのが嫌なムスメは、断固拒否。抵抗するんです。つまり、そこなんです。文句言うなら、自分でやらなければいけない、ということを学ばせなければいけない。
そして最後は、嫌だと泣き喚いて終わったのでした。
「イヤだぁぁぁぁー!」
もちろん、この後、時間を置いて、落ち着いたムスメが謝りにきてくれ、仲直りをしましたが、ちょっと前まで私はこういうことになる度に、罪悪感を感じていました。
罪悪感という鎖につながれていた
メチャクチャなことを言われて、怒鳴られ、責められ、泣かれると、こちらも動揺して大声を上げてたりしますから、その後は必ず反省となり「私も悪かったんじゃないか」と考えてしまっていました。
でも、考えてみたら、罪悪感を持つ必要なんてなかったのです。
だって、特性だからと言って、不適切な言動は許されないからです。彼らは、そういう不適切な言動を許してくれる人にだけ、そういうことをします。人を見てやっているのです。
そのパターンは、小学校でも見て取れるほどでした。おとなしく、優しい人ほど餌食になるのです。私はおとなしくありませんが、心が広すぎました。モラハラを受けている人は、「(不機嫌も)そういう時もあるよね」とか「人は皆完璧じゃないから」なんて言って許容範囲が広すぎるのだと思います。卑怯なモラはそこにつけ込んできます。
カサンドラの人は、もっと自分の気持ちを大切にすべきなだと思います。勇気ある一歩を踏み出す人が増えてくれることを心から願っています。離婚した今も亡霊に囚われ、特性がそっくりなムスメもいますから、なかなか自信を取り戻すのは大変ですが、自分に言い聞かせています。
二人の特性はそっくりでも、モトオはムスメと違って、不機嫌、暴言、他責、無視をする人でした。特性は何をやってもいいという免罪符にならないと何かで読んだ覚えがありますが、その通りです。
人としてやってはいけないことをしてくる人を許し続けていると、無用な罪悪感を埋め込まれます。自信も奪われ、終いには動けなくなりますから、我慢してはいけないのです。
今まで、日本では子供ができると母親にだけ負担が掛かるようになっていました。特性のある男性はそれにうまく乗っかっている。発達の相談も、どこへ行っても母親ばかり。普通の学校行事への参加もそうですが、日本の父親は親の責任を果たしていない気がします。
不適切な言動には、レッドカードを出す審判のようにキッパリと対処。もう我慢はしないと決めています。
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