映画「奇跡の人」はサリヴァン先生のことだった
映画「奇跡の人」(1962 洋画)をご存知ですか。
私は長年このタイトルの邦題「奇跡の人」をヘレン・ケラーのことだと思い込んでいたのですが、実は原題は ”The miracle worker”、直訳すれば「奇跡の働き人」。
つまり「奇跡の人」はヘレンを教育したアン・サリヴァンだったことを私は知りませんでした。
この映画を見ようとしたのは、ムスメが小5の時。
小さなことにも、なぜか激しく逆ギレしたり、人のせいにしたり、なんでもすぐに出来ないと言って、私にやってもらおうとするムスメに、あの手この手で、成長を促そうと苦労していた時のことです。
サリヴァン先生と私、ヘレンとムスメの共通点
努力の大切さは、人に言われて分かるものではありません。
元々映画好きだった私は視点を変えて、映画「奇跡の人」をムスメに見せようと思いついたのですが、まさかこれが自分を凍りつかせる結果になるとは、夢にも思いませんでした。
物語は、家庭教師として雇われたアン・サリヴァンが、ごねれば何でもやってもらえると学んでしまった三重苦のヘレンを再教育するお話しです。
何も分からない動物のようなヘレンに言うことを聞かせる為、
サリヴァンは暴れるヘレンと激しく格闘するのですが、
恐ろしいことにその格闘する姿がその時の私たちにそっくりだったのです。
目を疑うとは、まさにこのことだと思いました。
自分たちをテレビで見ているようで、二人で黙ったまま凍りついたのを覚えています。
今は笑って話せますが、その時は、あのヘレン・ケラーが、なぜうちのムスメと重なるのか、まったく理解できませんでした。
育てにくい子供だとは思っていましたが、自分たちが日々繰り広げていた格闘シーンをテレビの映像で見せられたようでした。
そしてその時、私はうちの異常さに初めて気がついたのです。
画面の中で激しく格闘する二人の姿は、もう私とムスメにしか見えず、途中で観るのが辛くなって、やめました。
やはりムスメは、何か普通じゃないと確信した忘れられないエピソードですが、実は、三重苦のヘレンと自閉スペクトラム症のムスメには、三重苦という点で共通していたのです。
ムスメは、皆が普通に見えているものが見えなかったり、普通に聞こえていることが聞こえなかったり、普通なら言葉にできることが言葉にできなかったりします。
ヘレンの三重苦と見事に重なるのです。
ただ違うのは、ムスメの場合、脳の機能障害なので、ヘレンのように『完全に』ではないのが難しいところなのです。目や耳や口は機能的に問題なく、見えるし、聞こえるし、話せるので、自分で出来ていないところがあるとは自分で気づけないし、もちろん周りもそれに気づけないのです。
発達グレーはヘレンよりハンデがあるかもしれない
そう思う理由は、ヘレン・ケラーは生まれた時から障害を周りに理解してもらえていたからです。
ムスメの障害も生まれながらでしたが、小6になるまで誰にも気づかれませんでした。
ヘレンが出来ないのは、本人の努力不足だなんて誰も言いませんが、ムスメは診断が下りた今も状況は変わらず、努力不足と取られてしまいます。この点に関しては、『本当は見えていない障害』は難しいと思います。
ムスメの場合、どれも、時々、所々できないことがある訳ですが、それによって人一倍失敗を重ねることになります。
けれども、周りからは本人の努力不足と取られるので、自己肯定感が低くなる結果を招くわけです。ただ要因はそれだけではなく、人一倍過敏傾向で、人一倍ネガティブ思考という本人の性格的な傾向も絡んでいるので、理解してもらうのが難しくなります。それは、こうして事実が分かった私ですら、もっと努力してもらわないと困る、と思っていることが多々あるくらいです。
厄介なのは、この「時々、所々の出来る、出来ない」は、見る、聞く、話すに留まらず、匂いや味覚など、すべての感覚にも現れ、時には記憶にまで影響を及ぼすので、常に問題になるのですが、本人も小さい頃からの苦い経験と結びつけて、その事実を隠すので更に分からなくなるのです。
確かに外では不利になるだけだったりすることも多いので、努力でカバーするしかないかもしれません。この先そのカバーもできなくなるかもしれませんが、せめて家族にはその情報を共有して、できない自分を受け入れる練習をしてもらいたいと私は思っています。
出来ないのに出来るように振る舞い、注意されると逆ギレしたりする言動は、社会的に許されないことを学んでもらわない困りますから。
サリバン先生も恵まれてる!と思ってしまう理由
私からすれば、ヘレンを献身的にサポートしたサリバン先生も恵まれているように思えます。
ヘレンの親に雇われて暮らせるだけの収入を得ていた訳ですし、ヘレンと格闘していた時だって、食事も出してもらい、ヘレンを教育することだけに集中できていたのですから。
無償で家事をしながら、他の仕事もして、ワンオペで特性を勉強し、子育ても一人でしなければいけなかった私からすれば、羨ましい環境です。
しかもムスメのサポートの足を引っ張り、本当に大変な時に家族を捨てるような夫付きですから、大変さは私の方が上なんじゃないかと思うわけです。
発達障害の事がいろいろ知られるようになってきた今でも、グレーゾーンのような特性が軽度な子供たちは、学校では見過ごされています。特にグレーの女子には、支援体制がないので、自分自身では乗り越えられない困難があっても普通とされています。彼女たちが苦労するのは、大人になってからだと思います。なので、せめて親や周りが早くから気づいて対応してあげられるといいなと思います。
娘の問題の影に元夫
これは、おまけになりますが、ムスメのしつけには、いつも「普通の感覚」との葛藤がついて回りました。
発達障害なんて知りませんでしたから、『なぜこんなことで?』『なぜここまでしないと分からないの?』と、常に疑問がついて回りました。
言っても分からないと、どんどん厳しくするしかなくなっていき、そのしつけ方法は私の意に反するものとなっていったのです。
そして、その原因は、モトオでした。
彼に助けを求めると状況が更に悪化したのです。モトオもモトオでその強い特性と白黒思考で、やるか、やらないかの二択しかありませんから警察のように厳しくなり、子供への対応は最悪でした。
彼は、見た目は大人で社会でも立派に働けている人でしたが、中身はムスメを更に上回る、手に追えない子供だったので、ムスメのしつけの前に彼自身が大人にならなければいけない状況でした。
つまり、ふたりとも普通の言い方や常識が通じないので、私にとってはひたすらカオスでしかありませんでした。
まさかその答えが発達障害とは。もっと早くから知っていれば、ここまで苦しむことはなかっただろうと唯一悔やまれることです。
コメント