いつもケガが絶えない女の子
小1のクラスに、ASDタイプの女の子がいて、女の子にしては珍しく協調性の無さとこだわりの強さが目立つ子なのですが、その子がしょっちゅう傷だらけなのです。普通なら暴力を振るわれたのではと疑うところですが、その子は、学校でも人の話を聞かずに危ないことをやってしまう子で、しかも注意されると逆ギレもするので、他の先生達とも「あの子はしようがないよね」と苦笑してしまうのでした。
けれど、それはつまり衝動性優位ということで、ADHDの特性ですが、発達障害は往々にしてASD、ADHD、LDと色々な特性を併せ持っているのはよくあることで、ケガが絶えないということは、つまり思いつくとその衝動性を抑えられず、後先など考えないで行動してしまっているということです。
先日も「昨日、火傷した」と言って、スカートをめくり、私に火傷した太ももを見せてくれたのですが、それはそれは広範囲だったので、驚いて「どうしたの!?」と聞くと、ふふっと笑うのです。火傷をして笑える人はなかなかいません。
「またなんかやったの?」と聞くと、ひょっとこみたいに口を尖らせて、さあーっと離れていきました。もうこれは確信犯です。学期初めの頃は、声をかけると険しく怒ったような顔をしていたのですが、最近打ち解けてきて、こういうふざけた顔を見せてくれるようになりました。
傍目から見たら、相当痛そうな火傷なのに、痛そうな様子がまるでないのも感覚鈍麻の成せる技です。特性のある子は、感覚が過敏過ぎたり、鈍過ぎたり、極端なことがよくあって、良いのか悪いのか彼女の場合は、平気でした。
担任に話すと週末家族でBBQをして火傷したらしいとのこと。担任曰く、その子のお母さんは、かなり優秀で社会的にも高い地位の人らしく(これも結構あるある)、こちらも学校の先生の話など聞かないタイプらしく、学校での気になる様子を言っても、娘のことは心配いりません!とバッサリ言われて、終わるそうです。
ありのままを受け入れているようにも思えますが、子供が持つ特性も無視していますから、それがその先どう転ぶかは、まさに人それぞれです。勉強ができれば、社会に出るまで問題ではないだろうし、できないと不登校に繋がりやすい。どちらにしても、親の申し出がなければ、支援に繋がらないのが日本の現状です。
うちのムスメは、外で目立つタイプではなかったので、この女の子とは大分違いますが、止められない衝動という点では、同じようなエピソードがうちにもわんさかあるのでした。
ムスメの衝撃的行動 その1
ムスメも小さい頃は、よくケガをしていました。子供はケガをするものだと思っていましたが、『どうしてこうなった!?』と疑問に思うことの連発でした。自分の子供時代を振り返っても思い当たることがないので、困惑することが多かったです。ムスメと私は子供の頃から正反対で、やはりモトオの子供時代に共通することが多いようでした。
モトオが自分と似た特性をムスメと共有できればよかったのでしょうが、モトオは自分の悪いところ、出来ないことを棚に上げる名人でしたから、ダメでした。発達障害の問題においては、自分の特性を認められるか否かにすべて掛かっているのだと思います。
ムスメの衝動性の問題で、忘れられないエピソードが2つあるのですが、そのうちの一つは、彼女が小1の時でした。
玄関先で落ちてコンクリートに頭を打ったのですが、普通にしていれば、小1で落ちるはずがないところで、なぜ落ちたのかが、ずっと謎でした。何をしたのか、何をしようとしたのか、本人に聞いても納得できる答えは返ってきませんでした。
住んでいた家の玄関は道路から4、5段、階段を上ったところにあり、地面から1メートルくらい高くなっていたのですが、ムスメは一番上にいて私はそのムスメを背に道路に立って近所の人と軽く立ち話をしていました。
すると突然、ムスメがコンクリートの地面に落ちて、大泣きしたのです。
その様子を見た瞬間、真っ先に頭に浮かんだのは『なんで?』でした。ケガはなかったものの頭を打って泣き方が尋常ではなかったので、大慌てで診てもらえる脳外科を探し、急いで連れていきました。
家でどんなに大変なことが起きても、夫に知らせると
「働いてるんだから、早く帰れません。オレの時給がいくらか分かってんの?」
などと言ってくるのが落ちでしたから、期待はしなくなっていました。訳の分からない問答につきあっていられませんから、自分一人でやる、が板についてしまっていました。
この時も確か、後から医者に連れて行ってくれて、ありがとうみたいなことを言われて、よしとした覚えがありますが、考えてみれば、家族の緊急事態に帰ろうとしない、協力してくれない時点で、この人は既に家族の一員ではなかったんだなと思います。
日が暮れて医者から帰ると、犬の散歩に夕食の支度と怒涛のような忙しさが待っていて、けれど、頭を打ったので急変するかもしれないことも考えねばならず、一人ですべてやるというのは本当に大変で、日頃から助けてくれない夫にありがとうと言われても、嬉しい訳ないのでした。
話を戻しますが、ムスメが、なぜそこから落ちたのかという疑問は、ずっと頭に残りました。不注意で足を踏み外したのなら真下に落ちるはずなのに、落下地点と落ちていた時の体の向きがとにかく不自然だったのです。彼らとの生活では、こうした違和感を感じることがよくあり、私はいつしか探偵のように嗅ぎまわっていました。
理由は、本人に聞いても「何もしていない」という怪しい答えしか返ってこないことでした。大事に至らなかったから、まあいいかでお蔵入りになるものの、私にとっては忘れられない出来事になるのでした。
因みにムスメが頭を打って、脳外科で検査したのは今まで3回あって、幼稚園で濡れたタイル張りのところで、滑って後頭部を打ったのが1回目。幼稚園から連絡があり、そのまま脳外科へ。2度目はこの玄関ので、3度目は高校の時。バスケの授業で頭を打って脳しんとうを起こしたらしく連絡が来て、そのまま脳外科へ。
実は、脳外科って、CT検査などはその日中に検査してもらえるところが少なく、ほとんどは遠いところで、その後また何度か通わなければならなくなると本当に大変なのでした。思えば彼女はいろいろ医者に掛かっていて、診察カードは山のようになっていました。
ムスメの衝撃的行動 その2
そして、もう一つは、小2か小3くらいだったでしょうか。習っていたスイミングの帰り道、ジムの駐輪場から自転車で一緒に歩道へ出た時のことでした。
私が先を走り、ムスメがすぐ後をついてきていたのですが、歩道にゆっくり漕ぎ出した瞬間、すぐ後ろで、ジムの警備員のおじさんの「わああ!」という物凄い叫び声とズササササーという大きな音が同時に響いたのです。
何事かと振り向くと、なんと我ムスメが歩道と道路の間にある木とフェンスの間に激しく突っ込んでいるではありませんか!?道路に飛び出していなかったのは、不幸中の幸いでした。それにしても、またしても…
『なんで!?』
でした。ゆっくり走り出して数メートルで一体どうやったら、そんなに激しく突っ込めるのか!?まったく理解できませんでした。気持ちは、警備のおじさんと一緒で『何やってんだ、この子はー!?』って感じでした。
激しく突っ込んで倒れ込んでいるムスメの姿と、おじさんの恐れおののく様子を見た時の私のショックといったら、今でも忘れられません。
ムスメのケガも心配でしたが、自転車が走れなくなってしまったので、まずは自転車屋!と近くの自転車屋まで自転車を引いて行き、直してもらいながら、何があったのか聞くと、彼女の答えは「なんか分かんないけど、そうなってた」で、またしても呆れるというか謎でしかありませんでした。
「ああ、あれね〜(笑)」
ある日、それから十年以上が経ち、とうとうそれらの謎が解ける日が来たのでした。
モトオと別れ、私とムスメに笑顔が戻ってきた頃、特性の話をしていて、「こんなことがあったよねえ」と、この2つの話をすると、
「ああ、あれね〜」
とムスメがその時のことを楽しそうに話し始めたのでした。
答えは、すべて恐ろしいほど単純でした。今となっては笑い話ですが、特性の恐ろしさを改めて知りました。何をするか分からない恐ろしさ。これだから発達っ子の子育ては大変なわけです。ムスメがこれまで大事に至らず、死なずに生きていてくれたことが奇跡に思えました。
そして、不注意と身体能力の欠如が原因だとずっと思っていた私でしたが、それだけじゃなかったということを17年くらい育ててやっと分かったのでした。
ムスメ曰く、玄関で頭から落ちたやつは、「飛んでみたら、どうなるんだろう」と思い、飛んでみたら、ああなったと言い、
2つ目は、ふと「目をつぶって自転車に乗ったら、どうなるんだろう」と思いつき、やってみたら、ああなったと。
「あの頃の自分は、自分でも何を考えてたんだか、と思うくらいぶっ飛んでたよねえ。ふと思いついたことをとにかくやってみたくなるっていうか、やらないと気が済まない感じだったんだよねえ」
と、笑って教えてくれました。
そして、当時はそれを言ったら絶対怒られると思っていて、絶対言わなかったとも話してくれました。ほんと昔から秘密主義というか、大切な話は話してくれませんでしたから、いつも後になって周りから聞かされたりして、ある意味男の子の育児みたいだとは思っていましたが、こんな事実が隠されていたとは想像もしませんでした。
モトオも秘密だらけでしたが、普通の人が『なんとなく感じる違和感』の根底にあるものは、発達障害に相当詳しくなければ、分かるものではないとつくづく思います。
知らずに育てていた私、ほんと一人でよく頑張ったなと自分を褒めてやりたいです。
今更ながら、ムスメのことを改めて知ったお話でした。
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