先に進むため
結婚した人は、人を愛するということが、分からない人でした。
それが分かってしまうと、私は一人芝居をしていたのかと我慢してしまった結婚生活が悪夢に思えてしまいます。
大恋愛をして、留学先のアメリカまで、私を追いかけてきた人が、そんな人のはずはないと、話し合いを重ねましたが、彼は何一つ覚えていないようでした。
1年以上前のことは「昔のこと過ぎて覚えていない」と彼が公言した時は、都合の悪いことを覚えていないと言っているだけかと思いましたが、本当に記憶がないらしいのです。
日本の政治家の答弁じゃあるまいし、と思ったけど、結婚して20年近く経ってから知った事実でした。
結婚以来長い間、訳の分からない不思議な世界に迷い込んでしまった気がしていましたが、それは気のせいではなく、発達障害の世界でした。
発達障害は10人いたら10人違います。うちのモトオやムスメがそうだからと言って、全ての発達障害に当てはまる訳ではありません。
書籍によく書かれている発達夫は、アスペルガー夫などとして書かれていますが、モラハラ言動がない人たちでした。実際、それだけでも大変なのはよく分かりますが、うちのようなモラハラパターンもあることを知ってもらいたいと思いました。
グレイゾーンはよく軽度と言われますが、集団への不適応や無自覚からくる不適切な言動の度合いは「軽度」という言葉では済ませれず、悩んでいる人は少なくありません。
彼がやっていたことは、家族に対する精神的虐待、モラハラです。
私はお互いのことを尊重し、思いやれる普通の家族を作りたくて、黙ってしまっていました。そうして自分を欺き、モトオの顔色を伺ってしまっていたのです。間違っていました。
家族であっても許されない言動を皆が認識する必要があると思っています。同じように家族の特性で苦しんでいる人の一助になればとペンを取りました。
これだけは言いたい
専業主婦にだけは、なってはいけない
なぜなら、モトオの人を判断する基準がお金だからです。低収入の女性は鼻から見下していて、時々現れる自分よりも収入の高い女性を褒め称えていました。『なんで私と結婚したんだろう』と何度思って、何度言ったことか。もちろん、毎回フリーズしてましたが。
おそらく私と結婚した理由は、英語。彼は、英語にかなりの劣等感を持っていて、英語を話す私に憧れていただけだったのだと思います。英語の仕事も家で私がやってあげていましたから、大いに役立っていたというわけです。
帰国後、手探りで細々とイラストの仕事をしていると、
「いつになったら働くんだ?」
と訳の分からないことを言われ続けていたので、今も絵を描いていると、どうせやっても無駄なことをしているような気分になってしまうのです。
家で仕事をしていると、話し相手がモトオだけになってしまっていたので、心の安定を求めて、塾で英会話の講師の仕事をパートで始めましたが、彼の思っているような仕事ではなかったので、それについては何も言いませんでした。
子供が生まれてからは、大変なムスメの育児と家事をこなしながら、頑張って絵本を出版できましたが、私が忙しくなり、いよいよ協力してもらわないと困るとなると、私の足を引っ張るようなことばかりしてきました。私が今まで通り、家事育児ができないことが嫌だったんでしょう。
幼く自分のことしか考えられない人とは、結婚生活は成立しないということです。
支援する家族に「理解してあげて」の言葉がけ
診断後、よく目にしたり、言われたりした
「発達障害を理解してあげて」
という言葉には、正直言葉がありませんでした。
確かに発達障害の人は自分一人で、なんとか出来ない特性を持っているので、周りが気をつけてあげなければいけないことはよく分かります。
けれど、それまで発達障害を知らずにずっと支えてきた家族は相談に来ている時点で、既に疲弊していますから、そこで理解してあげてと言われても『これ以上は無理!』と思ってしまいますから。私も医者からこう言われた時は、『その特性のせいで、どんな被害にあってきたか、分かって言ってる!?』と腹が立ちました。
支援が必要なのは、当事者だけでなく、それまで支えてきた家族でもあることを知っていただければと思います。因みにモトオは、自覚がなく、全く困っていない人でした。
私が、クリニックに相談に行った目的は『まず本人に自覚させて欲しい』でしたが、
実際、言われたのはこうでした。
「彼は発達障害だけど、双極性障害でもある。 今は、鬱の方をなんとかしたいから、理解してあげて下さい。 とにかく一人になる時間を作ってあげて。 仕事から帰ったら、ゆっくり休ませてあげて下さい。」
そして、医者の言う通り一人になる時間をたくさん作ってあげましたが、それで、どうなったかというと、彼の独りよがりがエスカレートし、暴走の引き金になりました。鬱のベースに発達障害がありますから当然です。
鬱なのか発達障害なのか、見誤るとこうなりますから、やはり専門であっても誰でもいいわけではなく、信頼できる医者を探すことはとても重要になってきます。
離婚してみて思うこと
結局、離婚したわけですが、離れてみて分かったのは、自分でも気づかないうちに、モトオの不機嫌に怯えていたことでした。
精神的虐待は、暴力よりもずっと長く被害者を苦しめるのです。
先日も養育費が支払日に振り込まれておらず、SMSで数回やり取りしただけで、動悸がしました。離婚以来、初めてのやり取りでしたが、相変わらず「口座が凍結された」とか、訳の分からないことを言ってきましたが、それには触れず「振り込んで下さい」と送ると、翌日振り込みがありました。あわよくば、忘れていて払わなくても良いとでも思ったのでしょうか。相変わらずでした。
離婚して良かったことは、心から笑うことができるようになったことです。家族を大切にしない人と暮らすのは地獄ですから。
ムスメも私も驚くほど笑うようになりました。最後にこんなに笑ったのが、いつかさえ覚えていないくらいでした。
もちろん不安がないわけではありません。経済面でも健康面でも不安は尽きませんが、生きてさえいれば、笑ってさえいられれば、なんとかなるんじゃないかと絶望を経験したからこそ思えます。
そういえば自分はこういうことが好きだったと思い出したり、やっと安定して眠ることができるようになったり、周りで仕事を頑張ってきた人たちを見たりすると、失った時間に愕然としてしまいますが、モトオと関わっていた時は、健康被害が尋常じゃありませんでしたから、あのまま一緒にいたら、今頃死んでいたかもしれないと思うと、離婚できて本当に良かったと思っています。
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